lifesuckssssのブログ

大学1年生のほのぼの日常ブログ

通信制限俺に全然効かねぇから

電車には急行という概念があるせいで対になる鈍行が生まれたらしい。もともとは遅い早いなんてものはなくて、いま"鈍行"と言われているものが普通だった。人々はこれを遅いものだという認識をしてなかった。

 

4Gの通信は確かに快適だ。youtubeにインスタのストーリー、ウイイレやクラロワなどスマートフォン上の大量のデータを一度に扱う行いにストレスを感じさせない。いわゆるスマートフォンの"急行"な訳だ。

 

一方通信制限、これでは動画やゲームは快適に行えない。かろうじてメールやLINE、スナチャでの文字のやり取りが行える程度だ。画像や動画より文字のほうがデータ量は少ないのは常識だろう。

 

今は6月21日金曜日。昨日は自由が丘のベンチで、終電の時刻と友達との楽しい時間との間で葛藤を繰り広げ、結局終電にふらふらなまま座り込み気づけば終点に着いていた訳だが、電車の間の記憶はない。そのまま僕の帰りを待ってない家まで帰り、倒れ込むようにリビングのソファにダイブした。で、目が覚めケータイをみると8時23分。みんなからのまた「また遊ぼうね!」のLINEで昨夜の記憶を鮮明に取り戻した。昼からの映画の予定にまにあうようにシャワーを浴び、軽いパンを口に放り込み家を出た。で、今10時28分。

 

好きなアーティストのインスタグラムのストーリーが更新されていた。病的なまでのセンスがあるその人の投稿は毎回楽しみで、真っ先にそれを開いた。

 

ただ回る怪しげな紫の円を眺めていた。眠い頭にはその状況が理解できず、30秒ほど待っただろうか。通信制限に気づいた。

 

まだ6月21日だというのに通信制限になるわけがない。原因は多分昨日だ。これから10日間の不便な暮らしを考えると少し気が滅入った。家のwifiに思いを馳せながら、ゲームをしたい欲求を捨て、文字媒体のブログに手をつけた。それと同時にどれだけスマートフォンに依存した生活をしているかを思い知った。

 

 

「なんかダイヤ乱れてる」のLINEの通知が目に入った。送信者は気になってる女子。僕は「チケット買っとく」とだけ送った。少し送信が滞っただろうか。しかしさして気になるほどではなかった。これから見る映画はアラジン、ずっと見たくて彼女と見れるのがずっと楽しみだった。まぁ、もうひとり一緒に見る人いるんだけど。

 

 

通信制限は、自由を制限してくる割には好きな人とのLINEはさせてくれる。これだけでもなんという贅沢、充分だ。ゲームや動画で時間を潰そうなんて傲慢だった。通信制限になるとLINEの通知が幸せに思える。これからの10日間、スマートフォンでの楽しみが、好きな人とのLINEだけの生活。

 

急行は確かに便利で快適だけど、鈍行で各駅に立ち止まり、ゆっくり流れる時間を大切にするのもまた一興なんだと。