lifesuckssssのブログ

大学1年生のほのぼの日常ブログ

電車って

通勤に片道1時間半電車に乗る生活も、高校一年のころから始めてはやくも4年目になった。最寄駅の8号車3番ドアはもはや自分の領域で、なんとも安心感のある場所になった。そこから電車にのりこみ、ある駅で乗り換え、その駅始発の電車に乗ると必ず1時間ほど座れるのがこの4年間の通学の助けになっている。満員電車は嫌いだが、自分が座れているのならば特に気にならない。この優越感が朝の眠い頭に滑り込み、あっという間に眠りに落ちる。気づくとそこは学校のある駅の一つ前。寝過ごしたことは片手で数えられるくらいしかない。

 

しかし帰りは文字通りの通勤電車だ。ひしめく人に押しつぶされながら、カバンを前で抱え互いの領域を時には譲り合い、時には戦わせながら揺られている。車体が大きく揺れると、それはまるで災害のように大勢の人を無差別に襲う。部活動で疲れた体にはこれが大きく響き、脚を痛めたこともあった。常に目の前の座席が空くのを祈っていた。

 

 

人口密度が高く、他人との距離がとても近いはずなのに、電車はプライベート空間だ。他人がパソコンを開いていたり、読書していたり、音楽を聞いていたり、窓に映る自分と睨めっこしていたりしても何も気にならない。自由だ。誰もが無関心なそんな空間が好きだ。

 

受験の時面接で聞かれた、「通学時間は長いですが大丈夫ですか?」の問いに、模範解答とも言える「勉強したりなど、時間を有効に使いたいと思います」という答えも今ではあながち間違っていないと思う。テスト前の暗記系教科の勉強には電車が最も適していたし、最近の大学の課題はインターネット上の提出なので、スマホで済ませてしまっている。

 

今このブログを書いているのも電車だ。座席の端の手すりによっかかりながら立って書いている。だからといってこのケータイの画面を覗く者はいないし、いたとしても一期一会、もう二度と会うことは無い。

 

そんな無関心な空間は居心地が良い。まぁ、悪いことがあるとすれば優先席に座ってる若い人を見たときくらい。すこし心に引っかかるものがある、なんてこともあまり気にしなくていいか。多分あの人は不自由な方が来たらすぐ譲るつもりなんだろうな。

 

 

 

 

次は乗り換えの駅だ。